まだら色になった妻

まだら色になった妻

結婚1年目でうつ病になった、気分も肌色もまだらな妻のブログ。たまに学生夫のこと。

「毒親」と呼べない子ども

こんにちは。まだたんです。

ここ最近ブログの更新が滞ってしまい、アクセスも激減してしまいました。

実は実家で飼っている犬に肉腫ができてしまって術後の様子を見に行ったり、母からのメッセージで落ちたり、そうこうしているうちに夫のちょりの仕事が緊急事態宣言の影響で休みになったり、バタバタしていました。

白斑ができるまで4』もなかなか上手にまとまらず、というか多くのことが重なったタイミングのお話になるので、内容を詰め込もうとすると主旨もぼやけて、なぜかうすーいお話になってしまう……

やっと『白斑ができるまで4』を投稿したときには、何日も経過してしまいました。

毎日投稿できる方って、本当にすごい!

私も始めたからにはもう少しちゃんとやりたいな。

前置きがうんと長くなりましたが、今回は、最近落ちてしまった(抑うつ状態に陥った)お話をしようと思います。とっても長いです笑

ネガティブな表現が多いので、引きずられちゃいそうな方は今読むのはやめてくださいね。



最近落ちた母の言葉

数日前、母から「白斑とか、いろんなことで、私のこと恨んでるんだよね」と、「急にごめんね」と前置きを付けた形で唐突にメッセージが来ました。

その前日、母発信で白斑の治療の話になりました。それでなのか、白斑発症から数年後に私が「何もしてくれなかった」と訴えていたことを思い出したようです。

確かにそう言いました。否定はしません。

でも、今更そのことを蒸し返してきて、恨んでるかを問われて、私は何と言ったらいいんでしょうか。

どう話すべきか悩んだ私は、メッセージでの連絡は良くないと思い、急いで電話を掛けます。

電話に出た母は、「どうしたの?」という私の問いに、「確かに何もしてなかったと思って」と言い、「家に来るのも辛いなら、誘わないようにしたり、付き合い方を変えないとと思って」と続けます。

もう、グサグサ刺さります。

この言葉を引きずりまくった私は、この数日後久しぶりにめちゃくちゃ落ちました。


そもそもうちの母は......

白斑ができるまで」でも母の性格についてお話していますが、母は、自身を悪く言われたりすることに対し、とても敏感です。自分に分が悪い発言や状況を受け止めながら、建設的な会話ができる人ではありません。「じゃ、私が悪いのね」と、感情が暴走しイカリまくり、どんな時間でも家を出ていく。なので、私が少しでも悪く受け取られるような発言をすれば、母と一緒に暮らす他の家族に迷惑が掛かります。

だから、日ごろから強い発言は避け、言わなくてはいけないことはオブラートに包みながら、それでも親子として距離感を感じさせないように気を付けて話しています。

前日に白斑の話になったときも、発症からすでに5年以上経った今そんな話題を出されて、もちろん心中穏やかではありませんでしたが、明るく返したつもりです。

それは、実家を離れた私には家をかき乱す権利がないと思うのもあるけれど、母自身にだって穏やかに暮らしてほしいくらいには愛情があって、お互いが幸せに暮らすためには多少の脚色も必要だと思っているから。

なのに、どうして母の口からこんなことを聞かないといけないのでしょうか。

きっと、この私の考え方、母の言葉の捉え方は賛否両論あることでしょう。

でも、私はこう考えてしまうんです。捉えてしまうんです。

うーん……

もっと、正直に言ってしまえば、母の言葉こそかつて私に言い続けた「悲劇のヒロイン」的発想から来ているのだと感じずにはいれません。

だって、この発言を受けて私は本音を返せないもの。私の本音を言って、それでも家族で一緒に解決していくことは端から考えていないんだもの。私がざわざわする気持ちを隠して脚色した、母の気分が良くなる言葉を聞いて、安心したいだけ。私への心配やそれを解決するものではなく、ただただ自分の不安を私に押し付けているだけ。

そう思ってしまいます。


かと言って「毒親」とも呼べない

私が『うつ病』を発症した直接的要因、トドメは全く別ですが、元々家庭環境の不安も強くあった私は、最近ではこういった家族との、主に母とのやり取りで落ちていき、抑うつ状態に陥ることが多くなっています。

夫のちょりが「本当にいい迷惑」と、バッサリ切り捨てるような発言が目立つほど、母から受ける影響が強すぎています。

私自身も「逃げる」ことを考えながら、できる限り真正面から向き合わないよう気を付けています。

だから、母に対する嫌悪を、強く抱くことができるときもあります。

でも、母の全てを恨めるわけではありません。

きっと、多くの子どもが、嫌でも、たとえ憎くても親に一定の愛を感じずにはいられません。辛くても、一緒にいたいと思うものだと思っています。

だから、私も安易に離れることを選ぶことができず、また安易に離れるだなんて言葉を母から聞きたくもありません。

それでも、うちの母は、昔からしょっちゅう「じゃあ出ていく」を口癖のように使います。それは子どもにとっては脅迫で、そして何よりも子どもの価値を否定する言葉です。

最近は本当に、親が子どもへそういう言葉を掛け続けることへの罪深さを感じています。

なのに、母の全てを恨めない私は、母を「毒親」と呼べません。

いつでも、母にとってのいい子でいたいし、可愛い娘と思われていたいという気持ちがとてつもなく強い。もう30を目前にしたいい大人なんですけど......

だからなのか、『まだ見ぬ、このブログを読まれる方へ』で、家族のことを「勝手なお願いですが、できればあまり悪く思いすぎないで、と思っています」と言ったりしちゃいます。

本当にまだら色すぎる。

もしも、母の行為が、殴る蹴るという暴力や、「死ね」などの罵倒、ネグレクトだったら、私は母の全てを恨めたのでしょうか?

毒親」と呼ぶことができたのでしょうか?




上記表現は、実際に暴力や罵倒、ネグレクトを経験された方には大変失礼な表現なのかもしれません。申し訳ございません。

ですが、激しすぎる虐待がピックアップされる中、もちろんそのニュースで心を痛めてもいますが、自分が受けたものは何と呼ぶのかとも考えます。

激しすぎる虐待は、虐待する側がどう思うかは別として、他者からは明らかに虐待であると認識されやすいと思います。(それでも事件が明るみになることが少ない現状は許すことができません。)

でも、虐待だと一概に言いにくいものがあることは事実で、全ては程度の問題なのですが、その程度というのが明示されないのが「しつけ」という言葉だと思います。

長すぎる記事で、読むのも辟易する内容だったかと思いますが、ぜひ、最後まで読まれた方には、そういった、しつけと虐待、愛情と嫌悪の狭間で苦しむ子どもがいることにも、気付いてほしいなと思っています。