まだら色になった妻

まだら色になった妻

結婚1年目でうつ病になった、気分も肌色もまだらな妻のブログ。たまに学生夫のこと。

子どもをもちたい女性として働くこと2

前回の続きですので、読まれていない方は下記からどうぞ。

madara-tsuma.hatenablog.com

※『うつ病』の振り返りも少し入るので、引きずられそうな方は読まない方が良いかもしれません。


 

うつ病』のきっかけを少しだけ

仕事が忙しくなってしまった、そして『うつ病』を発症したきっかけである異動自体は、私自身の希望でした。ただ、その希望の汲み取り方、方向が私が意図していたものとは違った、そんな風に思います。

私としては、これから家庭に力を分散していくための異動希望でした。だから、その目的が達成されるかどうかが私にとっては最重要で、決して異動だけできればよいということでもありませんでした。

その思いが十分に伝わらなかったのかな。

それでも、異動後与えられた業務は自分なりにやりがいを見出せる内容ではあったから、『うつ病』にさえならなればもっと違う結果だったかも。

でも、もう何を言ってもあとの祭りです。

当時、いろんなことがありましたが、キャリアはひとまず置いておいてと考えていた私と、キャリアを捨てさせまいとしてくれた会社側の齟齬から、どんどん流れは悪くなっていったなと思います。


続、進めない現実

少し『うつ病』の症状が改善して、仕事や子どものことをまた考えるようになってきた頃、新型コロナウイルスが流行りだしました。

今度は、世界を取り巻くその問題が、今は新しいことを考えるときではないと言っているようでした。

そして、新型コロナウイルスの第一波が落ち着いてきた頃、私自身が『白板症』というがんの可能性を孕む舌腫瘍の病気に……。

どうしてこうも上手くいかないのか。ただただ普通に物事が進めば、それでいいだけなのに、私にとってはそれすら奇蹟のことのように思えました。


進ませまいとする足枷とその根源

私の『白板症』ががんではなかったことは、救いでした。これ以上足枷が増えることに、きっと私は耐えられなかったと思います。

ここ数年、どんどん足に何かが絡まってきて、身動きが取れなくなっていく、そんな感覚でした。

ライフイベントを重ねても、それでも続けていけると信じていた会社。そこに限界を感じ、そのことでライフイベント自体を自分から遠ざけてしまいました。

なぜ生きているのか、それすらも不思議に思えました。

私にとって、キャリアはそれはそれで大切で、家庭に入ってほしいという夫の気持ちを突っぱねてきました。

でも、それはあとは何もはいらないとか、そういう意味ではありませんでした。

ライフイベントもとっても楽しみに、大切に思っていました。

所詮、私には贅沢すぎたのでしょうか。

悪いことが重なっただけ、とは思えど、やっぱりそんな卑屈な気持ちが今でも拭えません。


自分はどうしたいのか

今の女性って、本当に大変だと思います。(男性や昔の女性が楽とかそういう意味ではなく。)

がむしゃらに働けばそれで良いわけでもなく、ライフイベントと両立することを当たり前のように求められ、それができるのだと声高に言われます。まるで、両立できないことは悪いことかのように。

いやいや、公私の両立なんて、そんな簡単なことじゃないよ、と私は思っています。できたらそれはとっても良いこと、ですけどね。

私の場合、両立しようとして、結局その加減がわからなくなって、どちらも前に進めなくなりました。

どうしたいのかを見失いました。