まだら色になった妻

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結婚1年目でうつ病になった、気分も肌色もまだらな妻のブログ。たまに学生夫のこと。

結婚直前に学生に戻った夫のこと2(夫の前職と就職活動)

こんにちは。まだたんです。

前回の『結婚直前に学生に戻った夫のこと』では、夫のちょりの今のことを少しお話ししました。読まれた方は、合点のいかないところも多くあったかと思います。今後お話しする上で、多少はそれがすっきりすれば良いのですが……。

今回は、彼の前職について、そしてその前職に就いたときの就職活動について、お話ししようと思います。

当時、恋人として彼を見守っていた私は、彼の前職に良い印象がありません。私の主観が入った文章で、少々辛辣な発言もあると思いますが、ご了承ください。


学生夫の前職

ちょりの前職は、飲食関係でした。新卒で入社し、研修後は店長職で店舗の運営をしていました。

この店長職が、いわゆる「名ばかり管理職」そのものでした。月のお休みは1、2日取れるかどうかで、深夜まで働いて車で仮眠してそのまままた出勤、なんてこともざらでした。でも、出退勤の管理がないため残業代はなし。支払われるのは店舗運営の手当ての数万だけ。

もはや身体を壊しに仕事に行っているようなもので、体重もあばら骨が浮き出るほどまであっという間に激減しました。

精神的におかしい時期もあり、それでもちょりはがんばっていましたが、そのうち『アトピー性皮膚炎』を発症。ドクターストップが出たことをきっかけに、内勤の部署へ異動しました。

安堵するのも束の間、その後数か月ごとに異動、異動、異動。

配属された部署の中には、残業代がしっかり出る部署やちょりがやってみたかった業務の部署もありました。もちろん、内勤なだけで以前と変わらないような労働環境の部署も。でも、どこも数か月だけ。

もしかしたら、ちょり自身に何か問題があったのかもしれない。身体に不調が出たことで、扱いに困っていたとか?いや、ただ単に組織的な事情なのかも。

でも、私からしたら、一体何がしたいの?という人事でした。

異動の発表の度にちょりは、「また一から新しい仕事覚えなきゃだよ」と苦笑していました。そして、内勤に移ってからもなかなか治らないアトピーの肌に、毎日せっせと薬を塗り続けていました。

そんな彼の姿に、私はいつもやりきれない思いを抱えていました。


自ら招いたこと

今もですが、ちょりや私が就職活動をしていたときから、ネットを見れば様々な情報を得ることができました。企業側が説明会でいくら綺麗な言葉を並べても、実態は意外とバレバレです。

ちょりの前職の会社、正直ネットでの評判は良くありませんでした。そのことを、ちょり本人も私も入社前から知っていて、働くのは大変なんだろうなとは思っていました。

私は何度もそこでいいのかとちょりに聞いていましたが、彼は頑なに「そこで自分の力を試したい」、そんなことを言っていました。

そもそも、ちょりはわざと大変そうな会社を選んでいるようでした。

頭の回転が速く、採用試験(SPIなど)でも高得点が取れるのに、それが発揮できるような会社も一切受けませんでした。

そういった面では、彼が前職で経験した状況は彼自身が招いたと言わざるを得ないのかもしれません。


そうするに至る思い

私が聞いた限りでは、ちょりは幼い頃から英才教育なるものを受けていて、周囲に期待されて育ってきました。その期待のために、また高校時代には反抗期も重なって、大好きな部活動を辞めてまで、勉強をしていました。

けれど、大学入試で失敗。ご両親とは相当揉めたそうです。

このこと自体はちょりの親子関係のことなので、私が今ここでとやかく言うことではありません。ですが、就職活動の方向性にはかなり影響したと思います。

就職活動中、また前職で働いていた頃のちょりは、「良い会社は高学歴でないと意味がない」という考えが強くありました。そして、「そうではない会社で成り上がろう」という野心を持っていました。

確かに、彼の学歴は彼にとってそこまで高学歴とは言えないのだから、高学歴の方と競う可能性を減らした方が、その会社での成功率(出世率)は上がると言えるのかもしれません。

ただ、もっと、ちょりには自分のことを信じて挑戦してほしかったな、と私は思います。

彼の大学には、私も在籍していました。私自身は就職活動で良い条件の企業*1ばかり受けていましたが、大学名でそこまでのハンデを感じたことはありません。会社の上層部も高学歴だけとは言い切れません。

だからこそ、どうしてそこまで縛られてしまったんだろう、そう思ってしまいます。

もちろん、そういった野心で結果が伴うのであれば、私の思いもまた違ったのかもしれないけれど。


*1:良い条件の企業=大手企業、という意味ではありません。