まだら色になった妻

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結婚1年目でうつ病になった、気分も肌色もまだらな妻のブログ。たまに学生夫のこと。

『尋常性白斑』についてまだら妻の目線で

こんにちは。毎日更新を心掛けようとなるべくしている、けれども3日後更新をするだらだら妻のまだたんです。

今回は、過去の話をする前に私が罹患している『尋常性白斑』について、ざっくりとどんな病気なのかお話しします。もちろん、私は医療従事者でも何でもないので、患者目線でのお話になります。

 

自分の思いが入るので、客観的ではない部分も多くあると思いますが、「こんな病気もあるんだ」「こんな人もいるんだ」くらいに読んでもらえれば幸いです。

尋常性白斑(じんじょうせいはくはん)』は、別名「しろなまず」とも呼ばれています。白斑とは、その名の通り白い斑(まだら・ぶち)が肌にできる症状のことで、『尋常性白斑』は白斑ができる病気の一つになります。『尋常性白斑』は後天性の疾患ですが、白斑自体は先天性の疾患として起こることもあります。原因ははっきりとは解明していません。治療法は外用薬を塗ったり、内服薬を服用したりとさまざまありますが、現時点で効果的と言われているのはレーザー治療や皮膚移植のようです。ただ、完治は難しいとされている病気です。

(より詳しい情報はネット上にたくさんあります。下は参考までに。)

medicalnote.jp


要は肌が白くなる病気で、原因不明・難治性の病気ということ。

なお、ここで注意していただきたいのは、決して人に移るような病気ではないですし、普通の生活を送る上では大きな支障はほぼないです。見た目の問題を除いて。

白斑の症状が出る部位は人それぞれです。白斑が全身に及ぶ方、また白斑の影響で白髪が生えることもあります。

私の場合、症状が出ているのは顔と頭(髪)。しかも右側のみで、右側全体ということでもなく、それこそまだらに白くなっています。白髪もまだら。症状が出始めた当初は、口の右上、ほうれい線がある辺りにできた、半径1cmにも満たない白い斑点だけでした。それが今となっては耳付近、まぶたまで拡がり、眉毛の一部も白髪で生えてきます。


さらに、白斑はただ白いだけでなく、患部・患部周辺は紫外線に弱く、正常な皮膚だったところに大きなシミができることもあります。かく言う私の頬骨付近にも、肝斑とも言い難い立派なシミがあります。紫外線に弱いということは、それだけ皮膚がんのリスクも高かったりするので、そういったシミたちががん化しないよう日焼け止めが欠かせなかったりもします。

でも、正直、がんになりやすいうんぬんかんぬんよりも、見た目が本当に嫌でした。まだらの肌に、大きなシミが汚らしく見えて。
 
何て醜い顔なんだろうと、自分の顔を鏡で見ては常に嫌悪する日々でした。

もちろん、私も外用薬・レーザーなどの治療を受けましたが、治療で治るかわからないこと、治療中も拡がり続けること、そして医師などから受けた心無い言葉や、治療費で消えていくお金などを考えて、というか気持ちが折れて、治療は早々にやめてしまいました。

白斑のある顔を徐々に許せてきた頃、白斑の拡がりは収まりました。

補足ですが、以前、化粧品の成分が原因で白斑ができてしまうという報道がありましたが、当時そういった可能性のある化粧品は使っていませんでした。

尋常性白斑』など白斑を伴う病気は、認知度の低い病気だと感じています。私が近しい間柄の人にカミングアウトしても、大方珍しそうな反応をされます。統計的には1000人に1人程度(調べ方によっては100人に1人?)は罹患しているようなので、決して少なくない数字だとは思うのですが。

確かに、私自身自分から「私、白斑持ちだよー」だなんてしょっちゅう言ってるわけではないですし、外出の際は基本隠して生きているので、そりゃ認知度低くて当たり前です。わかってはいるけれど、たまに新規の美容室などで「ここだけ一帯が白髪なんです」「ちょっと病気で…」と説明するとき、30歳を目前にした私でも心にずしっと来るものがあります。認知度が上がれば傷付かないのかっていうと、そういうことでもないのかもしれないですが…

もう少し言いやすいといいのにな、と思ってしまうものなのです。

少しネガティブな表現が多いですが、現在はそこまで悲観的かというとそういうわけでもありません。もちろん治せるものなら治したいと常に思っていますが、
私の場合、顔はメイク、髪は白髪染め、で多少は隠せますし、以前と比べると自分の容姿を受け入れることができています。近所のコンビニならスッピンでも行けちゃうくらい
 
でも、ここまでの心理状態になるまでが大変なんだよー、とは言っておきたいです。

もともと精神的にあまり強い方ではないなと自分でも思っていて、白斑ができたときも、なぜ私はこんなに弱いのだろうと思っていましたが、そんな弱さも許せるようになったから、白斑も少しずつ許せてきたのかもしれません。

世の中、それぞれの人が、それぞれの知らない何かで辛かったり、苦しんでいたりして、それはもしかしたら他人からは理解できなかったり、そんなにでもないと思われたりすることかもしれない。でも、その人にとっての痛みはその人が感じるものだから、他人が否定するものでもない、と最近になって思います。
 
さらに言えば、自分の痛みさえも自分自身が否定するものではないのかなと思います。